2012年4月5日木曜日

菫のブーケさんの「昭和philiaな映画・読書感想文(+雑記)」:イザ!


弦琴への愛と情熱に生きた二人の女性・苗と蘭子

にまつわる小説です。

 

一弦琴は、かつて在原業平の兄・行平が須磨に流罪

になったときに難破船の甲板から作ったのが始まり

とのこと。

 

本作は大きく前半・後半に分けられます。前者の舞

台は、江戸末期の土佐藩。模範士族の娘・沢村苗が

五歳のときに旅絵師による琴の音に魅せられる場面

から幕を開けます。

 

作者は「一つのこと」に命をかける女性の小説の名

手でもあります。

 

その「一つのこと」は、一弦琴以外に日本画だった

り香道だったり料亭ののれんだったりします。その

一方、あとがきを読むと、本作は十七年間の歳月を

経て仕上げた作品であり、「愛着一入のもの」があ

ることが判明します。個人的な感覚ですが、確かに

他の作品よりも描写に濃密で熱いものを感じ、あと

がきにあるとおり本作は作者自身が精魂傾けた大作

だと思いました。

 

そんな作者が創ったのですから、この小説が陳腐な

「音楽好きな女の子の成長物語」になるはずがあり

ません。作者が得意とする繊細な心のひだのスケッ

チの他、苗や蘭子の人生の随所に現れる骨太な社会

の風向きにも言及されており、物語に厚みとスケー

の大きさを与えています。

 

まず、苗が琴を習えるようになる際には前述の


どのように私は雑草を殺すん

「土佐」「士族」「江戸末期」がキーワードに

なります。当時、武家の少女の御稽古といえば

裁縫・手芸・墨絵など。

 

楽器は格下の者の趣味と見なされていたそうです。

そんな中、苗の父親は土佐藩の上士として、海防

論かまびすしい時代の中、大阪警備へ派遣されま

す。そこ開明的な思想に触れ、京阪の勤王家の

間で琴が流行しているのを知って苗が一弦琴を習

うことを許可します。京都の土佐藩邸で一弦琴を

学んだ師・宇平のもとには郷士も出入りし、坂本

姉弟も門弟としてカメオ出演。

 

やがて二十歳になった苗は、初恋の終焉を迎える

ともにガチガチの武家に嫁入りし、琴から一時離

れた日々を送ります。そして、ここでも時代のう

ねりとの関与を余儀なくされます。わずか十七日

しか共に過ごしたことのない最初の夫は鳥羽伏見

の戦いで戦死するのです(ちなみに苗は、「もう

飛び道具ばかりになっているこの頃の戦に、未だ

に自慢の槍を振廻していただけに砲弾をかわす

なかったのであろう」と地味にひどいことを言

っています)。

 

二番目の夫となるのは、日本で初の司法試験に合

格した弁護士の市橋公一郎。法治国家として歩み


"ここでハーブやスパイスから来たの"

出した御一新後の高知では名士として敬われます。

 

やっとまともな家庭生活を手に入れ、主婦として

暮らす苗は、ある日のみの市で一弦琴に出会いま

す。その楽器は、名職人である紋之助が、苗の二

番目の師にして初恋の人である有伯に捧げた白

という名器でした。「お師匠様が私を呼んでいる」

…そう感じた苗の情熱が再燃し、宇平の後押しも

あり一弦琴の伝承に踏み出します。

 

具体的には市橋塾という稽古場を開くのですが、

この塾がただの「旦那さんの愛と応援で開設した

スクールでーす」ではないのですね。旧士族の懐

古の受け皿として機能している側面・維新後の

い親に代わり士族の女性らしい振る舞いを弟子に

教育する側面もあり、興味深いです。また、だん

だんと一弦琴が高知の誇りとしてプッシュされ、

地元の上流階級が後援者として関与する様も

れています。

 

と、ここまでが第二部。第三部から第四部は、

市橋塾の優等生・蘭子(人間国宝の秋沢久寿

栄という方がモデルとのこと)の視点メイン

で描かれます。

 

藩主の室に仕えたという御殿風好みの祖母

養育され、「人に後れをとっては恥」という


ほろ苦いを殺すためにどのように

家訓に忠実な、実力を伴った女王様の蘭子。

 

彼女は子供のいない苗の後継者を密かに自負

していますが、二人の間には確執が芽生えま

す。やがて苗と同様に(というか苗に引導を

渡される形で)蘭子も琴に別れを告げ結婚・

夫との死別を経て動乱期を生き延びます。そ

して、和二十二年、バラック住まいの彼女

のもとに高知放送局員が来訪し転機がやって

きます。彼女の胸には、一弦琴の復興への思

いとともに、市橋塾に勝ちたいという情念が

燃えあがり…

 

琴から離れてからの蘭子の焦燥感や動揺の描き方

が秀逸です。

 

蘭子は、自身の青春をかけ、名手とも賞賛された

自負ゆえに一弦琴自体は愛してはいますが、順風

満帆な生活を送る苗と養女・稲子に悪感情を抱い

てしまいます。

 

その一方で、良家の子女らしく、ネガティブな気分

にとらわれることを恥じて懊悩する姿には応援せず

にいられませんでした。蘭も苗も、過ぎ去りし時

代の張り詰めたまでの女性の美意識を持っており、

それが本作の醍醐味にもなっています。

 

上も下も感情・言葉を垂れ流すが勝ちの時代を生

きる女性読者にとって含蓄に富む作品になってい

るのではなかろうか、と考えます(自戒をこめて)。


ただ、誤解なきように言い添えると、作者は決し

てそれを説教じみて記載せず、淡々と書いている

ので御安心ください。

 

もう一つ特筆すべきは、男性の登場人物の魅力。

『櫂』から始まる自伝シリーズや芸妓をテーマと

した作品では悪い意味において戦前の価値観の男

性、そこまで性差別はせずともどこか欠点がある

男性が多数登場します。

 

しかし、準主役の公一郎は拍子抜けするくらい当

世風の理解ある好人物で、明治維新の象徴として

登場させかったのかな、と考えたりします。

 

もう一人、苗に重大な影響を与える有伯も興味深

い人物です。寡黙で気まぐれな大人の男性、刀傷

で盲目になったという設定で、から流れてきた

公家ではないかとほのめかされており、印象的に

映ります。

 

この有伯が主人公のスピンオフ小説を読んでみた

い、と思うのはぜいたくでしょうか…

 



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